Our Brand Story

2004 デザインフェスタ初出展の時のピアス

 

私がこの世界に入るきっかけの一つになった作品です。

デザインフェスタは、オリジナルの作品であればジャンルを問わず審査なしで出展できるアートイベント。東京ビッグサイトで年2回開催され、今でも続いています。

 

 ふと気づくと、私のブースをちらちら見ながら、前を行ったり来たりする女性がいました。しばらくそうしていてからとうとう見に来られて、ピアスを1つ選ばれたのですが、欲しいけど手持ちがないです、ATMはないですか、と聞かれました。あいにく会場内にATMはなく、外にある場所をお教えしました。大規模な展示会なので会場は大変広く、一度見失ったブースはもう見つからなかったりしますが、ちゃんと戻ってきてくださいました。それどころか、


「私、このピアスをつけたいから、これからピアス空けます。」 

 作り手冥利、とはこのことです。最初からいきなり大きな感動をいただきました。

 

 当時はホームページも名刺も作っていなかったので連絡先は分かりませんが、もし彼女にまた会えたら、心からお礼が言いたいです。よもやご覧になっておられたら、ぜひご連絡下さい。

2004 始まりは彫金専門学校から

 

 大学で美術史学を修めた後、彫金の専門学校・日本宝飾クラフト学院へ入学。ジュエリー関連の街・御徒町にあって、地力をきちっと付けてくださる学校でした。業界では、早ければ家業として子供の頃からジュエリー製作に親しんでいる方もおられるので、私はスタートとしては遅い方です。

 この仕事に進むことを心配する両親を安心させるために奮起、卒業作品展では最優秀賞を受賞しました。

 

 卒業後は都内のジュエリーメーカーへ勤務。いちメーカーとしては考えられないほどの高い技術力を持った会社で、世界的なビッグブランド、パリのグランメゾンからも修理の依頼がきます。私はここで、製作やデザインはもちろん、計算書や納品管理まで徹底的に鍛えていただきました。

 在職中には、ある日本のジュエリーブランドに提案したデザインがクリスマス限定商品に採用。数千点の受注につながり、いわばそのご褒美として、スイスのバーゼルで開かれる世界最大のジュエリー・時計の展示会バーゼルワールドへ出張し、勉強させていただきました。

 

 ジュエリー作家である社長は、とても柔軟な発想と強い好奇心、広い知見を持っておられます。おかげで私は、製作に向かう姿勢やデザインというものに対する考え方を学ぶ一方、まだ珍しかったアクリルの商品や焼き付け塗装、当時の最先端技術だったCADといった技術にまで触れることができました。

 今でも気にかけていただいている先生です。

2010ハートのセットリングと、ジャスミンのスイート

 どちらも妹夫婦のために製作したものです。ハートのセットリングは、エンゲージリングとマリッジリング2本の計3本。1本ずつ見た時にはそれと分からないですが、エンゲージと新婦のマリッジを重ねた時、またマリッジ2本を重ねた時、それぞれハートの形が浮かび上がるようにデザインしました。

 

 スイートとは、同一のデザインと素材で作られた一揃いのジュエリーのこと。ティアラ・イヤリング・ネックレス・ブレスレット・ブローチの5点が揃っているものがパリュール、これが揃っていない場合はスイートと呼びます。ジャスミンは妹の好きな花であり、式当日のブーケの花でもありました。

 

 思い入れが強いだけに、困って迷って悩みました。とはいえ、せっかくこの仕事をしているんだから、君らのリングはおれが作る!式で着けるものもおれが作る!と大見栄を切った手前、途中で投げ出すわけにもいかず。構想から完成まで半年以上かかりましたが、満足いくものができました。何より納期に間に合ってよかったです。

2010-11 フィレンツェ留学

 退社後、1年間フィレンツェへ留学しました。

とにかく期間が短かかったので、特別に石留めと洋彫りだけのコースを作っていただきました。石留めの授業は初めから終わりまでありましたが、洋彫りの授業は年明け2011年の1月から6月までのたった半年間。学生は卒業時、学校へ作品を1点残していくのが決まりで、私が置いて来たのがこの1枚です。元の絵はアルブレヒト・デューラーのエッチング(銅版画)、純銀の板に彫ったものです。 

 


これ以前は、石留めと模様彫りについては完全に自己流で、それっぽくならできるという程度でした。石留めは割と順調だったのですが、洋彫りについては当初全く手が出ませんでした。

 洋彫りのベッぺ先生は、フィレンツェの美術館にも作品が収蔵された腕前。真鍮板に苦もなくするすると彫っていく先生の横で、私のタガネは板に刺さるか指に刺さるか。やり方が分かっていてもできない、何の勘も働かないというのは、後にも先にもこの時だけです。力加減が分からないので、右の指先は金属の刃をやたらに力んで押さえるので麻痺し、左の指はタガネを刺しまくって傷だらけ。気づいたら腕は痙攣して、肩に力を入れすぎて肩こりから偏頭痛。最初の3ヶ月は体も作品も散々な状態でした。

 

あまりにできなさすぎて、これはもう私ではモノにならない技術かと諦めかけたことも何度か。ただ、イタリアくんだりまで来て「できなかった」とは言えないという意地だけで、最終的には何とかなりました。


学校が終わるころ、授業の後に先生に話しかけられました。ヒサシは本当に上手になった、日本に帰ってしまうのは本当に残念だ、と。仕事を紹介できたらいいんだけれど、(景気が)難しい状況だからね、と。イタリア人は褒め上手と分かっていても嬉しい言葉でした。

2013 Bottega Acca ブランドスタート

帰国後、作家として活動を始めました。

メーカー勤務中も新作の製作は続けていたのですが、この時が本当のスタートでした。

初めはフィレンツェに独特な透かし彫りと石留めのスタイルが強く出ていました。これまで学んできたデザイン的要素とともに段々と消化され、模様彫りと透かし彫りの共存した、独特のスタイルに繋がってきています。

 現在は、一点ものの新作・マスターピースとフルオーダー専門の特別なブランドとなっています。

2020 Martello d'Oro アトリエオープン

 

 彫金の楽しさ、自分で作ったものを身に着ける嬉しさを伝えたい、という思いから、体験型の彫金教室をオープン。

 2〜3時間ほどの作業時間の中に、彫金の基本とおもしろいところを詰め込んだコースをご用意しています。

 


めずらしいのは、親子で製作するコース。役割を分担してお母さんへのプレゼントを作ったり、お互いのネックレスを作って交換して、親子のペアネックレスを作ったりできます。